バーテンダーは、カクテルグラスに氷をいれてステアすると、シェイカーに氷・ウォッカ・ドライベルモットを入れてシェイク。カクテルグラスの氷を捨てて透明なカクテルを注ぐと、オリーブを沈め、最後にレモンピールを絞って香りを添えた。
「どうぞ、ウォッカ・マティーニです」
「ウォッカの、マティーニですか?」
「はい。一般的なマティーニは、ジンベースをステアしますが、ジンの代わりにウォッカでシェイクさせていただきました」
ジンのマティーニよりすっきり飲みやすく、まろやかな甘みが口いっぱいに広がった。
「バーテンダーさん。とてもおいしいですけど、どうしてこれが私にぴったりなんですか?」
「カクテルには様々なアレンジがありますが、ベースを変えたレシピは、基本的に別のカクテルに分類されます。例えば、ラム・ホワイトキュラソー・レモンジュースでシェイクしたXYZというカクテルがありますが、ベースのラムをウォッカに変えるとバラライカ、ブランデーに変えるとサイドカーとなります」
「しかし、マティーニの歴史は古く、ベースを変えてもなお、マティーニと呼ばれるこのカクテルには、無限の可能性を感じております」
「それじゃあ、このカクテル言葉は『可能性』で、私にも無限の可能性がある、ということですか?」
「いえ、こちらのカクテル言葉は『選択』でございます。お客様はひどくお悩みのようでしたので、差し出がましいとは思いましたが、こちらのカクテルをご用意させていただきました」
「今を続けることと、やめること。何が正しいかはわかりません。最善策を選んでも後悔することがあります。失って初めて大切さに気付くこともあれば、必死に守ってきたものが、どうでもよかったと気付くこともあります。月並みですが、人生とはそういう選択の繰り返しではないでしょうか」
「あの、どうして」
「お客様を観るのがバーテンダーの仕事ですので」
「……バーテンダーさん。おせっかいって言われませんか?」
「はい、よく言われます」
バーテンダーが小さく会釈すると、彼女は、ウォッカ・マティーニを少し多めに口に含んだ。
「うーん、強い! あーあ、私、今までなにやってたんだろうなー」
彼女は、チェイサーで舌をリセットすると、今度は、ウォッカ・マティーニをゆっくりと味わった。
「ねぇ、バーテンダーさん。カクテル言葉って、どのカクテルにもありますか?」
「どれにでもはありませんが、有名なカクテルは大体ございます」
「ノンアルコールカクテル……シンデレラにもありますか?」
「はい、ございます。確か、シンデレラのカクテル言葉は『夢見る少女』だったかと記憶しております」
「夢見る少女、か……少女って年でもないけど、もう一度くらい、夢見てもいいかもね」
そう呟くと、彼女は最後の一口までゆっくり楽しんだ。
「さてと」
彼女は、会計をすませ立ち上がると、カウンターのマッチ箱が目に留まった。
「バーテンダーさん。そういえば、Phareってどういう意味ですか?」
「フランス語で、灯台という意味でございます」
「なるほど。バーテンダーさんにお似合いですね」
「もったいないお言葉です」
彼女は、バーテンダーからコートを受け取ると、扉に手をかけて振り返った。
「あの……」
「はい」
「また来てもいいですか?」
「はい。お待ちしております」
彼女は優しく微笑むと、来た時よりも少しだけ強く、扉を引いた。
―FIN―
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